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日本レイテ友好協会ボランティア活動

NGO 法人日本・レイテ友好協会が今後目指して行く道

日本・テイテ友好協会は、1998年、当時小郡市の市会議員をしておられた伊藤賢次郎氏が太平洋戦争当時レイテにて日本兵8万人、現地住民13万人もの命が失われ「日本はレイテ島の方々に大変なご迷惑をかけ、その許しをさせ乞うていないし、未だ多くの日本軍将兵の遺骨が野晒のまま放置されている」との痛恨の思いから、日本・レイテ友好協会を私財を擲って設立されましたが、2009年にこの事業の道なかばにて幽界に旅立たれました。

その賢次郎氏の意思を受け継ぐために、賢次郎氏の甥にあたる伊藤実喜ドクターが伯父の偉業を引き継ぐことになったのです。日本・レイテ友好協会はフィリピンのレイテ島において、数々の事業の実現を行ってまいりました。その事業の一つひとつを数え上げれば切りが無いのですが、幾つかを列記すると、簡易水道の埋設・小学校・ハイスクールへの音響機器の寄付・文化交流イベント・医療・整体ボランティア・ビリヤバ地区生活研修センターの建設等々です。

ただ、与えるのではなく、一緒に汗が流せる場を作る事を目標にします。それを支援することが「ビジボラ」です。

これだけの偉業を行われた賢次郎氏の灯を守るべく、伊藤ドクターを代表として次の活動の準備を進めています。太平洋戦争が終結して67年の歳月が流れました。

日本は1962年頃より高度成長経済を達成し、世界第3位のGNPを誇る大国にまで成長しましたが、フィリピンの実情を鑑みますと、貧困とインフラ整備の遅れにより、国民の方々はまだまだ多くの苦労の中その日の糧を求めて生きている方々が如何に多いか思えば胸が痛む思いです。

更には、戦後67年の歳月の中、日本の為に戦った無言の若い兵士たちの遺骨は未だフィリピンの名も知れぬジャングルのなかで横たわっているのです。遺族の方々は高齢に達し、遺骨収集は進まず、先人の苦労すら忘れ去られようとしている現在、日本社会に一石を投じ、フィリピン国民に過去の過ちのお詫びをこめて、貧困に喘ぐ子供や就職先も無い若年層に手を差し伸べたいとの思いから、今後の日本・レイテ友好協会の活動方針を定めて参りたいと思います。

※日本・レイテ友好協会は、生活保護受給者の「社会的弱者自立の会」を支援して、一緒にフィリピンの貧困に苦しむ子供たちに贈る米を作り始めます。